上田城跡公園1/2  尼ヶ淵 西櫓 南櫓 東虎口櫓門

2021/5/20~22 2泊3日 走行615km  (ページ 2/12) 前のページへ

9:17 上田城跡櫓下広場の南側にある上田城跡駐車場に到着。カーナビだと有料の上田城跡北観光駐車場にナビされ焦った。無料の上田城跡駐車場は少し下った先を右に曲がるとあった。案内看板や地図場では上田城址上田城跡と呼び方が統一されていないが、城の土台や石垣などが残っている場合は城址で、なにも残っていない場合は城跡と呼ばれるそうだ。上田城跡駐車場からは南櫓・西櫓と石垣が眺められる。桜の木もたくさんあり春には絶景になりそうだ。

上田城跡駐車場は普通車88台無料で止められる。有料の上田城跡北観光駐車場は224台止められ1時間以内は無料でそれ以降は1時間毎に100円。平日でも9割駐車場は止まっていて土日祝日に止めるのは難しいかもしれない。

駐車場にはトイレあり。

上田城跡駐車場から上田城へ向かうには左側にある西櫓から登った方が近いが、右に進み二の丸橋を渡って上田城のメインスポットの東虎口櫓門から入った方がいい。

上田城跡駐車場前は広い芝生広場になっていて地元の家族連れなどの方々が寛いでいた。

南櫓前に写真が撮れる顔はめパネルがあった。周りの真田十勇士のクォリティが低いのが気になる・・・。

南櫓。現在の上田城址には南櫓・北櫓・西櫓(3とも長野県宝指定)が現存していて、1622年に真田氏にかわって上田藩主となった仙石忠政により上田城が再建された時に建てられた。本丸に7棟あったが明治の廃藩置県で廃城になり、払い下げで西櫓を残して解体し2棟は遊郭に移築し残りは不明。1942年に上田城址保存会に寄り移築された2棟の櫓は買い戻され1949年に南櫓・北櫓として移築復元された。

石垣がとても美しい。

南櫓から西櫓まで歩いてみる。左は芝生広場で右は石垣で景観がいい。

尼ヶ淵の崖。崖の高さは約12mある。上田城跡駐車場や芝生広場一帯は江戸時代には千曲川の分流が流れていた川原で尼ヶ淵と呼ばれていて天然の堀の役割をしていた。

1647年の上田城絵図。

しかし大水のたびに崖が削れてしまい櫓に被害が及ぶ恐れがある為、上田藩主松平忠愛が崖を守るために1733年から石垣を築き、尼ヶ淵の石垣のほとんどは崖を守るために造られた。一部に古い算木積の工法がみられる事から仙石氏の時代かそれ以前にも石垣が造られていた可能性もある。

西櫓。ここだけ解体されず江戸時代初期に建てられたのがそのまま残っている。

西櫓も一度は民間に売却されたが10数年後に最後の上田藩主松平忠礼へ無償で返還された。1929年に市に譲られ松平家の甲冑や刀等の宝物などを展示する徴古館(博物館)として一般公開された。

西櫓の左から本丸へ行ける。

急な階段状になった登りを進むことになりしんどそう。上田城のシンボルの東虎口櫓門を正面から見たかったので上田城跡駐車場から右に進んでけやき並木遊歩道を進み二の丸橋から向かう事に。

9:27 ケヤキ並木遊歩道(二の丸堀跡)を進む。大きなけやきの木に囲まれ涼しく歩くと気持ちがいい。1972年までは上田温電北東線が開通していて電車が走っていた。

二の丸橋の前に上に上がる道がある。

二の丸橋の下にベンチ。

9:31 上に上がると大通りに出る。道路を挟んだ先にお土産店も併設した観光案内所の上田市観光会館がある。

9:32 二の丸橋。

二の丸橋から二の丸堀跡。

二の丸橋を渡り右に曲がるとトイレあり。左に進むと二の丸跡がある。この辺と旧市民会館一帯は出陣前の兵が待機する武者溜まりだった。

トイレの先には旧上田市民会館。2016年の大河ドラマ「真田丸」の信州上田真田丸大河ドラマ館があった場所で今は廃墟みたいになっていた。2020年度から解体し、二の丸の復元工事が行われる予定だったがコロナ過の為か進んでいない。

9:34 大きな真田幸村の人形?があった。博多祇園山笠 千代流とのぼりがある。

旧市民会館を進むと東虎口櫓門と左に南櫓・右に北櫓が見えてきた。南櫓・北櫓は払い下げられていた2棟の櫓を上田城址保存会が買い戻し1949年に移築復元された。東虎口櫓門は明治時代の写真等を参考に1994年に復元された。

真田三代の幸隆・昌幸・幸村の顔はめパネルがあり記念撮影できる。

信州上田おもてなし武将隊の真田幸村と十勇士は修行中だった。ホームページで確認できる。

上田城の南・北櫓と櫓門の内部を見学することができ、火縄銃や鎧の展示や上田合戦を紹介するプロジェクションマッピングなどが見れる。拝観料は300円。

東虎口櫓門。虎口とは城郭の出入り口・狭い道・危険な場所を意味する。

東虎虎口櫓門右の石垣には有名な真田石があった。写真だとわかりずらいが高さ 約2.5m・横3mありとても大ききく圧倒される。真田信之が松代に移封を命じられた際に、父の形見として持っていこうとしたが、微動だにしなかったという伝承がある。

9:38 東虎口櫓門に入り上を見上げると重厚な大きな梁が架かっていて木造の作りが美しかった。

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